此方のご作品は中庭透さまのご作品です 2008.12/7のジョジョオンリーで発行した承花パラレル本『図書奇譚』にゲストして頂いたご作品 Opus1(閉架)の続編となっております。ご購入者特典です。☆12/19日続編をupさせて頂きました!→Opus3(閉架)

 

 Opus2(閉架)

作:中庭透様

 

 

 

 

空条を出口まで送り、花京院は自席に戻った。平日のこんな時間なので来館者の数は普段よりは少ない。人気のない書架を見回したが、実は何も見ていなかった。
さきほどまでの強いられた体験が心身を麻痺させてしまっている。一体何が起こったのか、事実として体に刻み込まれているのに、感情が理解を拒んでいた。
相談者が誰もいないのをいいことに花京院は書類を調べるふりをして呆然と体を凝固させていた。物静かで丁寧な態度。落ち着いた口調でいつも変わらずに話しかけてきた。斯界では有望な学者として将来を嘱望されている。何よりあの緑色の目はいつも温和な光を浮かべていた。あの空条が、自分を。
花京院は額に浮かんだ冷や汗を指先で拭った。今になって体が緊張し強張ってくる。受け入れがたいと思えば思うほど地下で行われた異常な行為が脳裏から離れない。彼の体の感触が蘇ったとき、急激な吐き気に突き動かされ花京院は喉元を押さえて立ち上がった。職員たちはそれぞれの作業に急がしく、誰もこちらを見ていない。足早に席を立ち、トイレに向かった。個室に入るなり、花京院は耐え切れずに何度も吐いた。胃の中身が空になり、吐くものがなくなっても嘔吐が止まらない。しまいには胃液を吐いて、その味とにおいにさらに不快になり、涙と鼻水で顔を汚してえづきあげていた。
 耐えれらなかった。
暴力で行為を強制されたこともそうだが、あの空条にそうされたことに花京院は深甚な衝撃を与えられていたのだ。
他の職員は最初から、彼を評していたではないか。『怖い』、と。得体が知れないと言い、怖がっていた。彼が特に何かをしたわけではない。ただ職員を、冷たい目で見て事務的に話しかけていただけだ。それなのに自分以外の職員は彼を『怖い』と言っていた。彼の危険性を察知していたのだろうか。それを、そうは思わない、と決め付けて彼に自分から近付いた。人が怖がる彼ですら、きちんと対応できるとどこかで驕りがあったのだろう。自分だけは彼に近づけると思い込んでいた。それがこんな結果につながったのだ。見抜けなかった自分の愚かさを花京院は悔やみ、歯を食いしばって泣き続けた。
司書の中でも若手で、一風変わった先輩たちの中で必死に肩肘を張り、夢を実現させようとがむしゃらに働いてきた。成果として「結果」が即座に出る業界ではない、功績を誇るつもりもありはしない。ただ人に負けまいと、少なくとも不要だと切って捨てられることのないように前だけを見て進んできた。だから同じように若く、専門分野に熱心に取り組んで頑張っている――と思えた――空条を、どこかで共感さえ持ちながら応援するつもりでいたのだ。彼のことは、平凡な日常の中におかれた一風変わったアクセントであり、いずれ会えなくなるとしても、それまでは彼のために役に立ち、便利な図書館だったと思ってもらえるようにしたかった。

――ただそれだけだったのに。

花京院は床にうずくまり、両手で顔を覆って嗚咽をかみ殺していた。彼に親切にしたかった、ただそれだけだった――けれどもそれが嘘であることを花京院は知っていた。自分の気持ちは自分が一番よくわかるのだ。空条の、あの奇妙な態度、ぎこちない日本語、巨体を静かに動かす動作、自分をじっと見つめる瞳。彼の存在は自分を惹きつけ、確かに自分はどこかで魅了されていた。彼の顔立ちは見るものに衝撃すら与えるほど端正だったし、どこで時間を作っているのか鍛え抜かれた筋肉は着衣の上からもよくわかり、生きた男神かと思えるほどだった。そうして自分にだけなつく大型の獣のような彼の態度。危険な肉食獣を細い絆ひとつで自在に操っているような快感。確かにそれらを自分はどこかで楽しんでいた。危険な綱渡りのような、脆く危うい関係でしかなかったのに。

他の人から寄せられることのない、明らかに自分にだけ向けられた空条の関心と紳士的な行為を、喜んでいなかったと言えば嘘になる。だがそれはさきほどのように肉体的に繋がれるとか、暴力で支配されるような異様な関係を望むものでは決してなかった。目が回るような忙しさの中で、彼の来訪のときだけが息を抜いて肩の力を抜ける時間だったのだ。多くを語らない空条の大きな体の横で、雑談を少しだけして、また別れる。それだけで満足だったのに。自分は彼を怖いと思ったことはなかった。彼に向けられる関心を、むしろほのぼのとした暖かいものに感じていて、同じくらいの穏やかさで彼に親切で報いてやることができればと思っていたのだ。

それらがあっけなく破壊され、二度と戻ってこないことを花京院は悲しんだ。顔を覆い、背を丸めて花京院は震えていた。シャツの袖から覗く手首に赤く拘束の痕が残されている。それをつかんで花京院は激情に耐えた。空条が憎い。自分を完膚なきまでに破壊して羞恥の限りを尽くさせて、プライドをずたずたに引き裂かれた。あまつさえこの世の何よりも大切な所属機関の蔵書を汚損させられた。自分の射精で本を穢すなど、信じられない地獄の責め苦だったのだ。そのような卑劣な行為を思いつき、しかも司書の自分にやらせるなど、空条の悪辣さは常軌を逸していた。

犯罪だ。彼は犯罪者だ。しかもあのやりようから実に手馴れていることがわかる。きっと彼は機会を得ればどこででもあのようなことをしてきたのだろう。自分の示す反応も先回りしてすべて読み切っていた。僅かな回数、本の貸し借りで口をきいただけなのに、どうしてあのように自分を追い込み、的確に侵食してこられたのだろう。彼は他にも自分のような犯罪被害者をあちこちで量産しているのだろうか。あの確信に満ちた態度。容赦ない攻撃。

思い出して、花京院はもう一度喉を鳴らしてえづきあげた。動作の度に切り裂かれた下肢が激痛を伝えて寄越す。あの行為は異常だった。人間が人間に与えていい苦痛のレベルを越えている。今になって体に残されたあらゆる衝撃が旧倍して彼を襲った。空条の声、指の感触、重ねられた肌の熱さ、すべてが思い出されて花京院を苛んだ。口から叫びがもれそうで、花京院は両手で口を押さえて震えていた。惑乱が高じ、このままだったら発狂する、花京院は本気で思い、歯を食いしばって立ち上がった。だが脳貧血を起こしてふらつき、壁に大きな音を立ててもたれかかる。倒れないようにするだけで精一杯で、暗くなった目の前を気にする余裕もなかった。冷や汗が全身を伝い、固く閉じた目の奥で白く星が瞬いた。

――殺してやる。

絶対に殺してやる。心身の痛みを凌駕するその瞋恚が花京院を立ち上がらせた。空条は館の、ひいては大学の財産である蔵書を一冊持ち出した。自分は懊悩の余りそれを彼に許してしまったが、本来は絶対に許されるべきことではない。しかも部外者立ち入り禁止区域からの持ち出しだ。司書としてしてはならないことをしてしまった。責任問題は別として本を取り返さなければ。

このような場合、即座に上司に報告し、対応策を仰ぐべきだった。空条の連絡先はわかっている。大学として正式に通達する前に、上司から返還を打診して非公式に取り戻せないか確認してもらうべきだ。大学はどこでも所属職員のトラブルを極力隠蔽したがるものだ。明からさまに空条を指弾するのは得策ではない。空条の所属機関と全面抗争になってはならない。

自分のミスだ、花京院は涙を拭った。なぜ本を取られたか説明を要求されるだろう。本当のことはとても言えない。だが説明しなければ最悪、空条と結託して盗難騒ぎを起こしたと思われる可能性もある。地下の閉鎖書庫には国宝級の本も眠っている。花京院がひとりで目録作成のために地下に潜っているのは職員全員が知っている。それでも本来の規約通り『作業は二名で行うこと』を無視しているのを黙認されているのは花京院の普段の仕事ぶりが高く評価されているからだ。やろうと思えば持ち出し、転売はいくらでも可能なのだ。花京院の持っているフリーパス、最上位権限のIDでなら。

それが自分の恥だとしても、必要があるのなら言わなければならない、花京院は目を閉じた。それで解雇されるとしても、それはもう自分のペナルティとして受け入れなければ。次に目を開いたときには花京院の目には光が戻り、顔つきも普段の彼に近くなっていた。水を流し、個室を出て、洗面台で顔を洗った。洗っているうちにまた涙が出たが、水に流して何度も洗った。顔をこする指や掌が滑らかでどこにも傷がないことが花京院をさらに苦しめた。空条の気遣いで癒されたはずの手の荒れがいっそ元のまま残ればよかったのにと悔やんでいた。館内の誰も――自分すら気にしなかった指先のあかぎれを心配し、薬品まで持ってきてくれた空条の、あの親切は作られたものだったのかと思うと涙が止まらなくなりそうで、花京院は唇を噛みしめた。

備品のペーパーで顔や手を拭き、乱れた頭髪を整えた。蛍光灯に照らされた鏡には真っ青な顔で、明らかに異変を来たした自分が映っている。僅かな時間でこれほど憔悴するのかと、花京院はまじまじとそのやつれた顔を見守った。これで来館者の前に出たら明らかに病人だと思われる……。白いシャツにネクタイの痩せた体がどこか子どものように未成熟な印象を与えている。
あと何時間かまだ勤務は続けなければ。長いこと席を外している。もう戻って働かないと、そう思ったときドアが開いた。

今花京院が、この世で一番見たくないもの――空条の長身が中に入ってきた。花京院の横に立ち、手にしたアタッシュケースを洗面台に置くと鏡の中から花京院を見た。くっきりとした二重で、切れ長の大きな目がまともに花京院を見つめている。
「……!」
花京院は声にならない悲鳴を上げ弾かれたように後ずさった。すぐに壁に背がつき、あせって背後を見る。空条はドアの前に立ちはだかってそんな花京院を眺めていた。
足ががくがくと震えるのを、花京院は必死にこらえた。条件反射で恐怖に怯える自分を情けなく感じる余裕はない。
「……忘れ物をしてね」
空条は言った。あいかわらず静かな話し方だ。
花京院は歯を食いしばって空条を見上げた。口を開けば声が震えそうで何も言えずにいる。そんな花京院を無表情に見下ろして空条がゆっくりと近付いた。右手を差し出して花京院の頬に手を当てようとする。花京院はその手を思い切りはねつけた。空条の腕が空中で静止した。その腕を見上げて花京院が体をよけた。壁づたいに動いて空条の後ろに回りこもうとする。ドアは空条の背後なのだ。
「あなたにまだ言っていないことがある」
空条は花京院の動きにつれて体の向きを変えた。花京院からまったく目を離さない。あくまでもドアの前に立ち、外に出さないように動いている。
「あなたに話しておかなければ。私はあなたが気に入った」
「う、うるさい!」
「だからあなたに飽きるまではあなたで遊ばせてもらおうと思う」
「誰がそんな……」
「抵抗されるのは承知の上だ。仕方がない。だからあなたの抵抗を封じる手段を講じないといけないね。弱点が意外に少ない人間だ。後ろ暗いところも持たないし、罪の概念に抵触するようなことはしていない。真面目で熱心に働いている。いわゆる普通の人間だ。だがあなたの気性はだいたいわかった。普通ではないところも多少はある。弱みが少ない代わりに、その弱みはあなたの存在のコアとでも言うものを直撃する。とても面白いよ、あなたは」
空条は異常な内容のその会話を天気の話でもするかのように何気なく続けている。淡々とそう言われると大学で講義でも受けているような気すらしてくるようで、花京院は首を左右に振り続けた。
「ぼくは関係ない……あなたとは関係ない。本を返してください」
「ほらね」
空条は笑いを含んだ声で言った。
「こんなときでもまだ本ですか? ……少しおかしいのかもしれないね、あなたは」
「あなたに言われたくはないですね! 館の蔵書を持ち出すなんて犯罪です。窃盗だ。見過ごしていたぼくも職務怠慢だった。あれは本当に大事な物なんです。今返せば、下であったことは忘れます。返してください」
「返すとどうなる? あなたは私とのことを忘れて今まで通り働くのか?」
空条は急に声を荒げた。ほんのひと足で花京院の前に動き、肩をつかむ。
「あれが忘れられるのか?」
「いっ、痛い!」
花京院は空条の腕をつかんで肩から外そうとした。
「まだ足りないというわけか。本ではなく私のことであなたを満たすにはどうしたらいいのかな」
「離せ!」
「口調が変わるのは面白いね。余裕をなくすと乱暴になるのか。では私に汚い罵倒をぶつけてきたら、それはあなたがダメージを受けていると思えばいい。わかりやすいな。花京院、さきほどのような行為を今夜これからするわけだが、何かリクエストはありますか?」
花京院は血の気の引いた顔で空条を見上げた。
「そうですよ。迎えに来ると言ったはずだが。場所を変えて続きをします。あなたを征服するまで」
声も出せずに首を振る花京院の肩を押さえ、空条は花京院の顔に頬を押し付けた。耳元で低くささやく。
「なぜ、とは聞かないのだな。聞かれても答えられないのを知っているからか? あなたが誰のことも知らずにただ固い蕾のままでいるのを見て、これは惜しいと思ったのだ。あなたがどんなふうに咲くのかを私は見たいと思う。希望がないなら私のやり方でやらせてもらおう。あなたには少々負担かもしれないが」
言い続ける空条の掌の下で、花京院の肩が小刻みに震えていた。
「断る……ぼくはそんなことをしたくない」
「ほう? 人質の存在は無視するのかね?」
「本は返してもらう。ぼくのことは忘れてもらう」
「できるのか?」
空条は獰猛な笑顔で花京院を見下ろした。花京院は肩に走る激痛をこらえて拳を握った。空条の腹を力いっぱい殴りつけた。
「……!」
叫びを上げそうになったのは花京院だった。空条は大声で笑い出した。
「そんな細い腕でどうしようというんですか。私の体は相当鍛えてありますよ。あなたのように中途半端な攻撃ではまったくききません」
花京院は足を振り上げて空条の股間を蹴ろうとした。途端に空条が花京院の顔を張り飛ばす。衝撃でぐらつくほどの殴打だった。目を廻してうずくまりかけた花京院を引き起こし、空条は激しくキスをした。舌を入れ、花京院の舌にからめて口内を荒らしまくる。のけぞった花京院の背を抱いて、空条は長い時間そうしていた。花京院が腕を上げて空条の胸や顔を押し、逃れようとするのを無視している。顔をつかまれ身動きできない花京院の目から涙がこぼれた。空条は顔を離すとその涙を親指で拭った。
「……非力というのは時に犯罪的に害になるものですね。気の毒に、男のくせに抵抗もできないとは」
揶揄するような言葉を、花京院は目を閉じて聞いていた。
「何か武器があったら……」
「武器? 例えば?」
「あなたを即死させられるものなら何でもいい。ナイフでも拳銃でも……」
花京院は憎悪のこもったきしむような声で言った。
「そうしたらここであなたを殺すのに!」
「武器があれば私に勝てると思うのか?」
空条は花京院を突き飛ばした。
「面白い。やってみなさい」
言うなり洗面台の前に立ち、アタッシュケースを開けて中から大きなナイフを取り出した。花京院にかざして見せる。緑の目が危険な光を秘めて輝いていた。
「フィールドワークで使うものです。私と一緒に世界中を旅したものだ。今は規制が厳しくて持ち込むのに大変な苦労をする。それで私を殺してみなさい。あなたにできるのならね」
床に座り込んだ花京院の前に鞘を払ったナイフを放り投げる。柄には皮が巻かれていて、刃渡りは二十センチ近い鋭利な刃物だった。金属の両面にエッジが立っている。日本のものではないらしい。
花京院は目の前で揺れているナイフの柄を掴んだ。目がひどく大きく見開かれている。能面のようになった顔には血の気がなく、紙のように白く変わっていた。病的なほど大きく開かれた目には光がない。膝を突いて立ち上がると、花京院は両手でナイフをつかんで構えた。
空条は面白そうに眺めている。余裕たっぷりな態度を崩さずに平気で話を続けている。
「それは両刃のナイフで、突く以外に切断にも利を得ている。大変便利なものでした。確かアラスカで買ったものです。柄には先住民族の伝統的な模様が彫られている」
瞬時、にらみ合った後、花京院が動いた。一歩踏み出すと空条には近寄らず、ナイフを投じたのだ。笑っていた空条の顔色が変わり、しゃがんで銀閃をやり過ごした。花京院はその横を走りぬけ、ナイフを拾うと空条の背に突き出した。体を開いてそれをよけるのを見越していたのか、足で空条の腿を蹴り、体勢を崩したところに体ごとぶつかった。相手が空条でなければ間違いなく心臓をひと突きにされていただろう。それほど見事な攻撃だった。だが空条は突き出されたナイフを紙一重でよけると花京院の腕を容赦なく叩き、痺れてナイフを落とした彼の腹を殴った。
ナイフが床に転がる乾いた高い音がした。締め切ったトイレではその音が異様に高く響いて聞こえる。
殴られた腹を押さえながら、花京院はそれでもナイフに向かって足を踏み出した。その細い腰を抱いて引きとめた空条は、笑いながら花京院を後ろから抱きしめた。羽交い絞めにして床から持ち上がるほど力をこめている。
「面白い。ますますあなたが気に入った」
空条は花京院の体を抱いたまま姿勢を低くするとナイフを拾った。コートのポケットに入れておいた鞘に、片手で器用にはめこむと花京院を背後から抱き上げた。花京院は無言で暴れている。足を振り上げて空条を蹴り、鉄のような腕を逃れようとしていた。空条は腹にぶつかる背や足を意に介さずにそのまま個室に引きずり込むと鍵をかけた。大柄な空条と、痩せているとはいえ成人男性の花京院とで個室はいっぱいになる。ドアに花京院を押し付けると空条は背後から笑いを浴びせかけた。
「本気なんだな。本気で俺を殺そうとしていたな」
吼えるような声で笑うと空条は花京院の髪をつかんで振り向かせた。花京院の目は真っ黒に変わっている。普段、頭髪と同じ薄い茶色の目をしているが、瞳孔が開ききっていて表情がまったくなかった。暴れ続けながらも、もう空条も何も見ていない目をしていた。
「ショックが大きすぎたかな。見かけ通り繊細だな。これは少々荒っぽさが過ぎたかもしれない」
花京院の頬をなぞり、長い前髪が顔を隠しているのを払いのけると空条は呟いた。
「だがこの程度で混乱されていては困ります。まだ足りない。私は満足していない」
キスを落として顔を眺めてから、空条は額を押し付けた。
そのまま動かなくなった空条の首筋に何かが当たった。はっと顔を上げた空条の首筋で、花京院が素早く横に手を動かした。IDカードを首に押し当てて皮膚を切断したのだ。噴き出した血は意外に多かった。空条は花京院の手首をつかんで押し下げた。プラスチックのIDカードが床に落ちる。
「ふ……」
空条は傷を手で押さえながら笑いをもらした。
「なかなか手強いな」
花京院の顎をつかみ、左右に振る。背にのしかかり、体重をかけて壁に押し付けた。
「誰も入って来ないのが不思議ではありませんか?
「……」
「日本人はルール尊守の美風を持つ。清掃中、の札をかけておいたから当分は誰も来ないでしょう」
花京院のうなじを後ろから鷲掴みにすると、空条は花京院の着衣に手をかけた。白衣の脇から手を廻し、花京院の腰のベルトを引き抜いた。ズボンを下着ごと床に落とす。花京院はドアに磔にされていて動けずにいる。
「だからこんなことをする時間もあるわけだ」
空条はポケットからナイフを取り出すと花京院の口を掌で封じた。ナイフの鞘を持つと、柄の部分を花京院の肛門に押し付ける。体を震わせた花京院の背を更に強く押すと、そのまま握りの部分を奥深くまで突き込んだ。空条の掌でふさがれた花京院の喉が大きく震える。叫ぼうにも声を出せず、よけようにも体を押さえられて、花京院の体が痙攣していた。空条はそのナイフを更に奥まで動かした。
「いくら苦痛でも私の体のほうがまだいいだろう? これはあちこち突起が出ているし金属と古い皮でできている。細菌感染も考えられる。危険で冷たくて汚染されている。これ以上動かすとあなたの腸内はめちゃくちゃになる。切開手術が必要になるだろう」
手を止めると空条は花京院の顔を覗き込んだ。
「抜いてほしいか?」
花京院が反応しないでいるのを見ると、空条はナイフをぐい、と引き抜いた。半分ほど抜くとまた奥に押し込む。花京院の背が弓なりに反らされた。
「答えなさい。抜いて欲しいのか?」
激しく頷く花京院を見下ろして、空条は手を止めた。
「これよりは私のほうがいいだろう?」
花京院がためらいながらかすかに頷いた。掌に伝わる感触で空条が見下ろすと、ナイフを伝わって出血が滴っていた。
「では言ってみなさい。私のものを入れて欲しいと」
花京院の背が強張る。空条はナイフを動かした。
「こうされていたいなら、していてあげよう。私はどちらでも構わない。あなたの体がいつまでもつかが心配だがね。なかなかいい眺めだよ、花京院。こんなもので、しかも職場で犯されるとはあなたも大変だったろうがね。これからここを使う度に、男にナイフを突っ込まれて奥の奥まで犯され抜いたということを、あなたは思い出すのだろう。耐えられるかな? 花京院」
花京院の喉が動いている。叫べるものなら叫びたかっただろう。喉を鳴らすくぐもった音が絶え間なく空条の掌の下から聞こえていた。細い脚には鮮血が幾筋も流れている。ナイフの尾を生やした花京院の尻は異様に衝撃的な光景だった。白く小さな尻の中心で空条の手に馴染んだ大型ナイフが前後に動いている。花京院が立っていられなくなって膝が砕けたとき、自分の体重でナイフが体の奥深くまで呑みこまれた。仰向けにのけぞった花京院の口元から空条の掌がはずれる。ひどくしゃがれた声で花京院が叫んだ。
「嫌だ! 抜いて! 取って、取ってこれ!」
空条は花京院の腰を抱いて支えながらわざとナイフを突き上げた。花京院が両手を伸ばしてナイフを抜こうとする。その手が震えていることに満足して空条はナイフを廻すように中をえぐった。花京院が悲痛な叫びを上げる。頬から涙が飛び散った。白く光って落ちる涙を見て、優しくさえあるささやきを空条が吹き込む。
「人が来るよ。静かにしなさい」
「痛い、本当に痛いんだ! 抜いて! もう嫌だ、抜いて!」
「抜いて欲しいなら、代わりに私のものを入れて欲しいと言いなさい」
「もう嫌だ! いやだっ」
「ではこのままでいなさい。ナイフか私のペニスかどちらかだ」
「抜いて、痛い……」
花京院は声を上げて泣き出した。痛みで何もわからなくなっているのを見て取ると、空条は満足げにささやいた。
「これで最後だ。きちんと言えないのならずっとこのままにする。抜いて欲しかったら、私のペニスを入れてください、と言うんだ、花京院」
「うっ……う……あ、あなたの……」
言えずに泣いている花京院の首にキスをしながら空条はナイフを動かした。
「いたい……」
花京院は壁につけた両腕に顔を押し付けて歔欷し続けている。
「言えないのだな」
「言うよ! 言うから……これ抜いて……うっ……抜いて、あなたのペニスを入れてくださいっ」
早口に言うと花京院が肩を震わせて泣き続けた。
「よし。よくできた」
空条はゆっくりとナイフを引き抜いた。血塗れになり、腸の内容物もついたそれをそのままコートのポケットに入れる。壁に向かったままの花京院が脱力して大きく息を吐いた。震える脚に鳥肌が立っている。空条はズボンの前をくつろげた。せわしなく呼吸をする花京院の腰を抱いたとき、痩せた背が強張った。腰を引き寄せてからさきほどまでナイフが傷つけていたそこに、空条はゆっくりと押し入っていった。中はひどく熱かった。出血のせいかぬめりを帯びており、ナイフの握りで拡張されていたせいか挿入は地下で行ったよりも容易だった。それでも狭いそこに性器を押し込んでは少し引き、ようすをうかがいながら根元まで押し込むと空条は動きを止めた。花京院の背ががちがちに強張っている。肩が上がって緊張しているのが見て取れた。手を回したが花京院の股間は反応していない。むしろ縮こまって萎縮している。
「反撃はそこまでかな、花京院。私に傷を負わせたのはあなたが始めてだ。よくやった。この借りはあなたの体で返してもらおう」
壁についた花京院の手が強く握られた。
空条は花京院の背に体をつけた。密着してより深く自分の分身を挿入する。花京院の強張った背中を自分の体でこするようにして馬乗りになり、空条は腰を使った。地下ではそこまでとは思わなかった、花京院の中の心地の良さに陶然とした表情になる。傷を負い、心身ともに空条を完全に拒否しているくせに中は柔らかく空条の肉を包み、微妙な変化で圧力を加えて寄越す。これは思いがけない儲け物だ、空条は顔を歪めて皮肉な微笑をもらしていた。外見も内側も――と考えて空条の笑いが大きくなる――好みの体というわけだ。後はメンタルで完全に制圧すればいい。これだけ折れない性格ならばこれからもまだひと波乱あるだろう。それだけに完全に支配しおおせたときの喜びも大きいだろう、空条は思い、緑の瞳に熱を帯びて苦痛に耐えている背中を見守った。
挿入の度に花京院が背を動かす。痛みをどこに散らせばいいのかまだわからないらしい。空条が動きを速めると、尻の肉が強張り、中で空条を締め付けた。刺激で射精しそうになり、空条は動きを止めた。体の相性もいいらしい、そう考えて快感をやり過ごす。中では限界まで膨張した性器が解放を求めて痛いほど張り詰めている。花京院が女だったら、射精前に流れ出た自分の体液だけでもう妊娠しているだろうと空条は考えた。
「……いたい……」
涙声で花京院が呟く。挿入してから初めての言葉に、空条は抱く手に力をこめて微笑した。
「これからもっと痛くしてやるつもりだよ。あなたには快楽よりも苦痛のほうが有効のようだからね。痛めつけることでしかあなたを支配できないのなら、あらゆる苦痛を与えてやる」
「……もういやだ。いたい、ほんとうに、……いたいんだ」
荒い息の下から、子どものようにたどたどしく花京院が言葉を返す。
「なんでこんな……」
すすり泣く花京院の上で腰を使いながら空条が笑った。
「強いて言うならあなたのせいだな。いや、あなたが悪いわけではない。あなたのありようが悪かったのだ。私のような人間に目をつけられずにこれまで来られた方が不思議なのだ。次にあなたを抱くのはどんな男になるんだろう。私があなたに飽きて放り出したら、そのときはきっとあなたは自分から誰かを探して歩くはずだ。私はあなたを徹底的に調教するつもりだし、そうするとあなたは私のような人間なしでは一日たりとも過ごせなくなるはずだから。そのときが逆に楽しみだ。あなたがそんな無防備な綺麗な顔でふらふらしていたら、ある種の人間には途轍もない誘惑でしかないからね。次にあなたの相手になる者はきっと私に嫉妬する。一体どこのどいつがここまでこの子を仕込んだのか、と思うだろう」
動きを再開すると、花京院が声を上げた。悲鳴は小さく、絶望に満ちていた。その声を心地良く耳にしながら、空条はためらうことなくクライマックスに向かって駆け上って行った。
欲望を放ったとき、壁に拳をついていた花京院の手が五指を開いた。白い指が広がるさまを花が咲くようだと頭のどこかで思いながら、華奢な手首ごと掌を握り空条は壮絶な絶頂感に耐えていた。

内壁に当たる空条の性器から更に射精された感触が重なって、花京院は募る違和感に失神しかかっていた。今朝までは何も知らずにいた。このように体を開かされるとはついぞ思わず、ただ普通の一日が待っていると思っていたのだ。現れるなり自分を異常な出来事に巻き込んで、一度ならず二度までも体を使われたことを、まだ信じられずにいる。これは現実ではない、もしそうならばもう生きていけない、花京院は思い、声を殺して泣き続けた。細い肩が揺れるのを、だが空条は押さえ込んだ。
「……動くな」
ささやきに驚かされた花京院が振り向こうとすると空条が乱暴に花京院の頭を押さえた。
「動かないでくれ」
火がついたような激しい呼吸を落ち着かせながら空条が命じる。
「出したばかりで動かれるのは……ああ、あなたにはわからないか」
花京院はそれを聞くなり体をもがかせた。
「本当にめげない人だな」
空条は笑うと体を引き抜いた。その動作に花京院の動きが止まる。ずるりと引き抜かれた空条の性器の先から血液が滴っていた。白濁した液体が糸を引く。花京院にはそれを見せず、空条は拭いもせずに服の中にしまいこんだ。花京院の背を壁に押し付けたまま、また花京院の後ろに指を入れる。
「な……」
花京院が壁に手をついて体をのけぞらせた。
「もうやめろっ、本当にやめてくれ」
泣き声で懇願する花京院に構わず、空条は長い指を付け根まで差し込んだ。その指を内壁をえぐるように動かし続ける。花京院の尻がびくびくと跳ねた。尻を覆うように掌を開き、中指で中をまさぐり続ける。
「怪我の具合を見ているだけだ」
花京院が反抗するように肩を揺らす。空条は呟いた。
「大分慣れてきたようだな。指一本くらいなら平気で入るようになっている。まあ続けていないとすぐに元通りに狭くなるが」
言いながらなおも中を探っていくと、花京院が急に背を丸めた。
「……このへんか」
空条が指で押さえると花京院の首筋が赤く染まりだした。
「あれだけやられても刺激されると反応する。人間はつくづく作られたように動くものだな」
言い捨てると空条は指を抜いた。血塗れの掌を見下ろしている。何事か考え込んでいるらしい空条は、花京院の背に加えていた力を緩めた。震える手で鍵を空け、花京院が個室の外に出る。血塗れの下肢に急いで服を引き上げると身支度をした。空条はそれを見て、まだ思案顔を崩さない。だが花京院がドアに飛びつくよりも早く洗面台の前を横切って花京院の腕を掴んだ。
「まだ走る元気があるのか。若いな。細くても体力はありそうだ」
ふらつく足で何とか立っている花京院を見下ろして呟く。あれだけの虐待を加えておきながら、空条の表情はあくまでも冷静で波立つところが皆無だった。その平静さを花京院はむしろ怖れた。この男ならこんな静かな顔をして自分を引き裂くくらいのことはするのだろう。機械のように冷静に反応を観察しながら拷問の末に殺すとしてもおかしくはない凄みがある。
「カードを置いていくのか?」
空条は親指を立てて肩のあたりで動かした。背後の個室を指して皮肉な笑いを見せている。
「自分の職場でIDカードなしで不審者として捕まりたいのか? 拾いなさい。今日は早退させる。私が連れて帰ってあげよう」
「……お断りだ」
「首の傷は痛かったぞ花京院。あなたの大事な本の表紙を破らせていただくほどの痛みだった」
「……汚いぞ」
「ああ。汚いな。だが有効だ」
屈辱に顔を歪めた花京院を見下ろして、空条はその背を奥に押した。
「拾ってきなさい」
無言で歩き出した花京院の着衣のあちこちに血痕が飛んでいる。ふらつくのも無理はない、空条は思いドアを背にして見守っていた。一番奥まで歩いて行き、腰をかがめてカードを拾った花京院が、そのまま床に倒れこんだ。しばらく見ていた空条はゆっくりと近付いた。長い脚を動かすと花京院の半分ほどの歩数でそこまでたどり着く。花京院は横倒しになったまま動かなかった。紙のように白く血の気の引いた頬に触れてもまったく反応しない。
極度の緊張や疲労から昏倒してしまったようだ。空条は見下ろすとまず先にIDカードを拾い上げた。それから倒れた花京院の体を起こし、横抱きにして体の前に抱え上げる。完全に意識を失った体は何をされても無抵抗だった。抱き上げると花京院からは鉄錆のようなにおいがした。血のにおいだ。出血が相当な量だったのだろう、広範囲に染み出した着衣の血痕が徐々に色を変えている。
腕にした体は不思議なほど軽かった。自分の体に押し付けて、片手で抱いてから洗面台に置いたアタッシュケースを開けるとポケットの中のナイフを入れた。地下から持ち出した本がそこにあることを確認すると蓋を閉める。指先に引っ掛けると花京院を抱き直し、初めての経験がこれというのは相当なものだ、空条はそう考え、どこか陰惨な影のある笑いを浮かべたまま意識のない花京院を抱いて館内に戻って行った。

受付カウンターに向かうと、そこにいた職員たちが空条を見て顔色を変えた。数名がいっせいに立ち上がる。
「花京院さん!」
「どうしたんですか」
「先生っ!」
騒がないで、と皆を制止したのは児童文学担当の年配の女性だった。説明を求める前に花京院のようすを覗きこみ、顔を歪めた彼女は空条を見上げて質問した。
「どうなさったんですか」
「トイレで倒れていました」
「気絶している。花京院先生……? 先生?」
「このまま医者に連れて行きましょう」
「私もついて行きます」
空条はわざと頷いた。
「そうしてください。どうも貧血を起こして倒れたようで、打ち所が悪かったようですね。少し怪我もしたようだ」
腕を伸ばしてその女性の前に花京院を少し降ろして見せると、顔をしかめて覗き込んだ。
「車で来ています。すぐ連れて行きましょう。学校指定の病院などがあればそこに」
「いえ、特にありません」
「そうですか。では私の知り合いの開業医のところにしましょう。昔から世話になっていて信頼できる医者の二代目が同級生にいましてね。場所も近い。ここからすぐです」
「何ともなければいいのですが……」
空条はタイミングを見計らい、花京院を抱き上げた。
「急がないと。私でよければ医者にお連れしますから、皆さんはそのまま働いていてください。まだ勤務時間内でしょう」
「でも……」
「少ない人数でローテーションを組んでいて大変だと花京院さんから聞いています。彼が気がついたら自分に付き添いを出したことを心苦しく思うでしょう。私は部外者ですが大学職員だ。皆さんの事情はよくわかります。病院から連絡を入れますので」
児童文学担当者は少しの間迷っていたが、ためらいを消すように何度か頷いた。
「それではお願いします」
「わかりました。私の連絡先はご存知ですね?」
「図書カードのデータに……」
「ええ。携帯電話の登録も追加でしていただいています。何かあればそちらに。一時間もしないうちに私の方から電話を入れられるでしょう」
「ではお願いします」
職員代表のような形で年配の女性が決定し、花京院を抱いた空条を出口までついて見送った。
「花京院先生、最近無理をなさっていたようですから」
「そうですか」
「大きな展示会が近くあるので、連絡で走り回っていたんですよ。もう少し人をさいて手伝わせればいいのに、先生がよく仕事がおできになる方なので何でも任せっきりで……」
愚痴ともつかぬことを言いながら女性は早足の空条に、小走りになってついて歩いた。
「まったく起きてきませんね」
「疲れが溜まっていたのかもしれないですね」
空条は親切そうな口調で話し、女性を見下ろして笑顔になった。その顔を向けられた者は老若男女を問わずぼうっと見蕩れて呼吸を忘れることを空条は知っていた。案の定、女性は銃で撃たれたくらいの衝撃を感じたらしい。それまでのおずおずした態度が急にかき消えて、顔を赤くして喋りだした。
「か、花京院先生は根を詰めるたちのようで、規定で残業は禁止されているんですけど、よくタイムカードを押してからずっと残って作業をされてるんです。この建物にひとりで残るなんて考えただけで怖いような気がするけれど、警備員さんが不審がって見回りに来るくらい遅くまでよく残られているんですよ。電気も消された中で、あの相談室の個室にこもって資料を作られたりして。本当によくなさってる方なんです」
「そうですか。そのあたりも医者に話してみましょう。もしかすると明日は欠勤になるかもしれないですね」
「……この様子では休んでいただいたほうが安心ですね。館長には私から報告しておきます。花京院先生をよろしくお願いします」
軽く頭すら下げられて、空条は事の皮肉さに大声で笑い出したくなっていた。
職員に信頼され、慕われている花京院をぼろぼろにしたのは自分なのだ。一途に仕事にのめりこみ、皆の尊敬を集めている彼を無残に引き裂いて汚した自分に『よろしく』だと? 腹の底から笑いがこみ上げ、空条はこらえるのが辛かった。しかも自分の手にしたケースの中には彼が何よりも大切に思う貴重な文献が入っている。それに射精させて穢させたとき、彼は自分の精液を舌で舐め取り清掃した。犬のように床に這い、泣きながら舌を伸ばしていたあの姿。しかもそれだけではない、トイレではナイフで尻をえぐられ、苦痛に叫びを上げていた。今日初めて目にしたのに、もうその体の隅々まで知り尽くしたような錯覚すら覚えながら、空条は手にした体に力をこめないように意識した。この細い体に鞭を揮い、背を引き裂いてやったらどうだろう。屈服することを最後まで拒むあの顔で自分を見上げる花京院を足蹴にし、顔を見ながら犯してやるか。今日は二度とも背後から強姦した。彼の表情を克明に記憶しながら体を繋げるのはさぞ楽しいだろう。畜生、と叫んでいるようなあの凄艶な目でいつまで耐えていられるだろうか。
「わかりました」
「先生の荷物はこちららで預かっていますので、もし必要があれば連絡をいただけますか」
「はい」
「七時までは誰かしら残っています」
「花京院さんが目を覚ましたら連絡を入れてもらいますよ」
「お願いします」
空条は毒液が滴るような妄念を振り払い、女性職員に挨拶すると図書館を出た。広大な敷地の中に点在する大きな建物の間に幾つかの駐車施設がある。そこまで誰にも見咎められずに歩いていって空条は自分の車に花京院を乗せた。
助手席に座らせてシートベルトで体を固定する。首筋に指を当てると脈がひどく弱くなっていた。ショック症状だ。空条はコートを脱いで花京院の体にかけた。調子に乗ってやりすぎたか、空条は笑いを浮かべた。これから連れて行こうとしているのは「同級生の開業医」のところなどではなかった。自分の家だ。開業医の病院であるのは間違いない。だが先年死去した自分の親の病院だ。既に病院としては機能していない、建物と医療器具だけが残された親の遺産だ。自分は医者になることを期待されていたが、幼少時より海が好きで、人間ではなく海を見たい、と宣言し、その通りの道を選んだ。
町医者として近隣の住人に慕われて長く医者を続けた父は医者の不養生のことわざ通り、ガンで命を落としている。それも喉頭ガンだった。違和感を放置し、食事が飲み込めなくなってから初めて大学病院で検査を行い、末期に近い状態を宣告された。手術で重顎から喉を除去されて話すこともできなくなり、ただ横たわったまま延命治療を受け続け、最後にはモルヒネで中毒になって死んで行った。遺書を代筆したのは空条だった。母は早くに亡くなって、家族はふたりきりだった。アメリカから呼び戻され、入院先の病院で筆談で相談を繰り返し、意識が鮮明なうちにすべての処理を書類で指示すると意識不明に陥って、数日後には亡くなっていた。

両親は幸せだった、車を出しながら空条は思った。ふたりとも亡くなり、唯一の長子である自分が犯罪に手を染めるようになったことを知らずに済ませられたのだから。花京院だけではない、自分はこれまで気に入った誰かを見つけると花京院にしたような脅迫や暴力で思いを遂げることを繰り返した。誰を相手にしてもすぐに興味を失い、最初の熱意が醒めると荒涼とした気分で飽きたら捨てることを続けてきた。

自分があらゆる人間にアピールする魅力ある外見をしていることは幼い頃から知らされていた。周囲の扱いが他の子とは違いすぎ、気がつかないわけにはいかなかったのだ。人の好意など空条にはたやすく摘み取ることができる何の値打ちもないもので、降る様に注がれる好意や愛をそっけなく踏みにじり、手に入らないものだけを求めてきた。自分に振り向かない男女、自分に愛を示さない誰か、そんな人ばかりを追い詰めては強引に体を重ねてきた。自分に興味を示しただけで、愛や親しみの対象外に位置させたのだ。出会う人間すべてが即座に自分の外見に執着し、欲しがり、求めて手を伸ばしてくる。幼いころからそうされ続けた空条は、ある意味、根深い人間不信に陥っていたのかもしれなかった。

だから花京院と初めて会って、親切にされたときも、花京院が自分に好意を持ち、そうしているのだと最初は思った。だが彼は自分以外の全員に同じ態度で接していた。親切で、優しく、我慢強く、そうして――冷たい。無限に許容するかに見えて、ある一線から先には他人を決して立ち入らせない。見た目の柔和さにだまされて近付きすぎれば必ず痛い目を見るだろう。彼は誰も見ていない。生きた人間に興味がない。
ぎりぎりのところまで相手の願いを聞き届け、無償の行為を提供していた。職務だからという以上に、元からそのような親身さを持っていたのだろう。その優しさは親が子に与えるような種類のもので、一切の見返りを求めない純粋さに満ちていた。花京院はただ、利用者が便利なようにとそれだけを考えていたに違いない。相手が誰であってもそれは代わらず、たとえ感謝の言葉がなくても、評価の対象とされなくても、彼は黙ってそのように、相手のために隠れて動き続けたに違いない。僅かな回数、接しただけで空条にはそれがわかった。

これは得がたい人材だと空条は思い、それから彼が自分と他人を同列に扱っていることを次第に不快に感じるようになっていた。この空条承太郎を同列に、だと? 思いはそのような怒りに集約されたかもしれない。わざと調べるのが難しい文献をリクエストし、自分に注意を向けさせたのは、子どもっぽい稚気の現れだったかもしれない。他の職員が対応するときはアメリカ帰りのイメージを悪用し、日本語が下手なふりで混乱させた。興味のない職員には喧嘩腰の会話をわざとふっかけた。そうしてそれとなく「空条博士の担当は花京院先生」という空気を演出し、まんまと接する機会を増やすことに成功したのだ。

彼は自分に偏見を持たず、まっすぐに見つめていた。曇りのないその目に映っていた自分は「図書館利用者」でしかなく、空条は苛立ちを隠せずにいた。最初から自分を怖がることもせず、かといって関心を示すわけでもなく、ただ事務手続きに熱心なばかりで、花京院はやさしい笑顔を浮かべながらも「自分」は決して見せなかった。彼が何を思い、何を愛する人間なのか、空条にはおろか利用者や職員の誰一人として知らずにいたのではないか。
花京院のあの人をそらさない話術や親切な物腰はすべて仮面で、その内側にいるはずの彼そのものは何ひとつ示してはいなかった。個人的な話は決して口にせず、ひたすら書物に淫している彼を、もっと知りたいと先に思ったのは空条だった。そうして空条から仕掛けなければ、ふたりの間の距離は決して埋まらず、今でも職員と利用者のままだっただろう。

花京院に近付いてみると、努めて地味に装った野暮ったいほどの目立たない態度は、しかしあらゆる局面で本人を裏切っていた。笑顔の明るさや優しい口調はそれだけで人の警戒を解く力があり、怜悧な物腰や問題解決の能力の高さ、他の職員から漏れ聞こえてくる行動力や企画力も並の人間のものではなかった。ことに常にスーツで顔と首と手しか見えない彼の肌の美しさに空条は特に興味を引かれていた。男性にしては優美すぎる姿もひどく好ましく、華奢な手首の奥、腕や肩、その先がどうなっているのか見つめずにはいられなかった。少し長めの柔らかい頭髪の陰に見え隠れする首筋など、そのまま指で触れ唇をつけて味わいたいと切望させられるほどの透明感を持っていた。

薄い皮膚はすぐ赤らみ、自分が土産を手渡したときなど、驚きに目を見開いた顔が子どものように無邪気で、成人男性のものではないと空条は思い、美しい少女のような人だと改めて感じ入ったものだった。昨今珍しいほど、羞恥や謙譲の心を持ち、自分の美点をまったく知らずにただただ真面目に働いている。
凍った花だ、と評したのは空条の本音だった。これほど無垢なままでこの年まで来たのなら、この人のする初めての恋は、どれほど清らかで美しいものだろうと空条は思い、まだ見ぬその未知の存在に激しい嫉妬を燃やしていた。深甚な怒りさえおぼえ、自分と同じように特別な外見を与えられながら何も知らずに今日まで来て、特別であることを意識したことすらなさそうな花京院に、倒錯した感情を抱くに至った。
彼の初めての相手は自分であるべきだ、という思い。
眠ったままの彼の感情を揺り動かし、心身ともに目覚めさせるのは自分でなければならないのだ。空条は突然そう思い、何度も花京院の顔を見てその気持ちを確かめた。会えば会うほどもっと会いたくなる。話せば話すほど更に話したいことが尽きずに出てくる。彼が一般来館者としてしか自分を見ていないのを知りながら、では「その他大勢」にすらこのように心地良く接するのなら、恋人として、或いは特別な対象としてならどのように魅力的に振舞うだろうと想像し、気持ちを抑えるのに苦労したのだ。
野暮に作った眼鏡やスーツを取り去って、彼が望んで甘く優しく振舞うとしたら、それはどれほど美しく綺麗なものになるだろう。だが所詮、空条は彼を正攻法で落とすつもりなどなかったのだ。欲しい物は最短距離で手に入れる。努力などしない。掴みとって踏みにじり、飽きたら捨てる。それが人でも物でも同じだった。
花京院がどれほど印象深く他とは違うと思えても、摘み取った瞬間萎れだす花のひとつに過ぎないだろう。空条はそう思い、行動に移す時期を見計らっていたのだ。一度動き出してしまえば、後は失望に向かうカウントダウンが始まるだけだ。花京院とて早々に自分を飽きさせるのだろう。始めは嫌がっても次第に狎れて鼻声を出して擦り寄ってくる。べたべたとまとわりついて、愛を強要し始めるのだ。何が愛だ。空条は過去の犠牲者たちを思い出し、鼻で笑った。
愛など与えたつもりはない。勘違いしてつけ上がって、勝手な要求を始めた途端にお払い箱だ。替わりの人間はいくらでもいる。空条の愛を欲しがり横にいたがる人間は。そんな連中などこちらから願い下げだ。手の届かないもの、自分に興味を示さないもの、そういうものしか欲しくなかった。

花京院は変わっている、空条は思い、助手席で死んだように眠り続ける花京院を横目で見た。何もかもが愛のために作られているような人なのに、これまで仕事一筋で来たらしい。自分の容姿や内面の魅力などかけらも計算に入れずに生きている。制圧したと思っても反抗し、こちらを傷つけることさえ厭わなかった。無理矢理に押し入った彼の中はこれまで抱いたどんな男女よりも熱く自分を迎え入れた。それなのにあの拒絶は何なのだろう。心が閉ざされたままの体であの反応なら、もしも彼が自分を受け入れ、心身ともに自ら開いたとしたら、一体どのような快楽が待っているのだろう。空条はそれを考え口内が乾くほど興奮している自分を笑った。

これから誰もいない場所で彼をじっくり堪能するつもりだった。まずは負傷の程度を調べ、消毒や必要があれば縫合をしてやろう。麻酔は資格のない者が使えば犯罪だが、やり方はわかっている。死なない程度にどう使うか、それなりの知識は備えていた。
さんざんに犯されてあちこちに痣や傷が残る今の彼を撮影しておくのもいい。意識を失うほどぼろぼろに男に犯されたことを忘れてもらっては困る。意識のない彼をもう一度抱いて、結合部分をデジタルカメラで克明に撮影しておこう、空条はそう思い、運転しながら目をぎらつかせた。花京院の白い体を屈曲させて自分の器官を穿ちながら、あらゆるアングルで撮影してやる。目を覚ましたらそれを見せて感想を聞いてみよう。フィルムでも撮って大きく引き伸ばして壁に貼ってやってもいい。知らないうちに男にやられた自分の肢体を見せられたら彼はどんな反応を示すだろうか。気の毒にな、花京院。おまえはもう逃げられないんだ。空条は大声で笑いたくなっていた。

父の葬儀には数百人が弔問に訪れて、家に入る狭い小道は警察官まで出動するほど人があふれた。口々に父への敬意を語り、感謝を告げる人々は、二代、三代と祖父と父に世話になったと涙をこぼし、空条医院がなくなることを惜しんで泣いた。空条が跡目を継がないことを表立って責めた者はいない。けれども「空条先生」のひとり息子が内科医にならず海洋学を選んだことを残念がる雰囲気は濃厚だった。人々のそんな反応に慣れきっていた空条は格段の感傷もおぼえずに礼儀正しく遅滞なく式を進め、腹の中では退屈をかみ殺しながら義理を果たした。

父の病院をつぶさなかったのは特に考えがあってのことではない。だが医師の資格を持つ者が不在になった今、処分すべき医療装置や医薬品をまだそのまま保管していたのは、いつかこの日があることをどこかで待っていたからなのかもしれなかった。

空条は手を伸ばして花京院の頭髪に指を潜らせた。柔らかな髪は何の抵抗もなく指の間をさらさらと流れる。彼の股間にも同じ色合いの茂みがあった、それを脳裏に思い浮かべ、空条は凶暴な笑みを浮かべた。花京院の体に刻印を刻んでやろうと思いついたのだ。内臓にいくら穿ったところで日が経てば傷は消える。行為そのものをやめるつもりはなかったけれど、目に見える形で烙印を押してやろうと思ったのだ。
自分はおそらく当分彼に飽きないだろう。今日だけでも、地下で抱いた後、待ちきれなくて図書館に戻った。彼を探し、トイレに駆け込むのを見つけて後をつけた。見かけ通り繊細で、かなりのショックを受けながら、彼は機会を見つけては逃れよう、反抗しようと努めていた。あれほどの苦痛と衝撃を与えても、まだ彼の精神は崩壊しないのだ。これは面白い、いいゲームができそうだ、と空条は笑みを浮かべた。牙をむき出しにした獣のような野蛮で残酷な笑顔だった。騒がれると面倒だ、寝ている間に麻酔を打って、彼の体に彫り物をしてやろう。誰かが見たら驚く場所に、俺の刻印を押してやろう。

そうだ、星の形はどうだろう。自分の肩の、首の付け根に位置する場所に赤い星が生まれつきある。花京院にもその色と形を与えてやろう。自分でも見えないようなきわどい場所がいい。次に彼を抱く男だけが見つけるような場所がいい。そうして花京院には教えない。本人も知らずにその星を抱えて生きていくがいいのだ。俺に奉仕している間は俺だけがその星の存在を知っている。眼鏡をかけて真面目くさって熱心に働く間もその星は俺の物だと主張しておまえの体で輝くだろう。悪いな、花京院。俺はもうおまえを調教し、支配することしか考えていない。目覚めない今だけがおまえにとっての安らぎだ。それはこれで最後になる。これからおまえは寝ても醒めても俺のことですべてを塗りつぶされ、不安と恐怖に怯える日々を過ごすのだ。

俺はおまえを逃がさない。おまえのために職を変え、帰国までした俺の決意をおまえは知る必要はない。けれども俺はおまえのすべてを把握して、あらゆる情報をおまえを支配するために使ってやる。まずは刺青。それからおまえの体の全てを知る。おまえが何を喜びとし何を快感と思うのか、ひと晩かけて確認する。苦痛での支配はとてもたやすい。おまえはこれまで肉体的な苦痛などまったく知らずに来たのだろう。だから一定レベルを超えた苦痛の前にすぐに降参してしまう。痛みは有効だ、ならば快楽は? これまで苦痛も快楽も何も知らずに来たおまえなら、ベクトルの両極端を俺は模索し最大限の効果を得るためにおまえの体を試してやる。
「楽しみだなあ、花京院」
空条は声に出してそう言うと走る速度を更に上げた。

 

 

 

→Opus3(閉架)

 

 

 

 

 

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